シリーズ〜私をこの世界に連れ込んだ(?)先生達6

私が外国人の先生についてからは、私のピアノに対する考えは一変しました。

単純には、今まで私が疑問に思っていたことが全て解決、または納得したというか・・・。

反面、なぜ、日本人はこうも納得できないレベルや指導が多いんだろう?と思いました。

これまでの話では、私は圧倒的に日本人の指導者をこき下ろしています。

しかし、これは非常に情けないことで、自分だって日本人な訳です。

しかし・・・悲しいかな?この辺りは・・・

海外の状況を知っている人ならば、納得できると思います。

逆に言えば・・・外国人の指導者に触れていない人は、一生その状況で終わってしまうわけです。

今まで私はなぜ日本人はこうも海外の指導者と違うことが多いのか?なぜ日本人はセンスが悪いのか?ずっと考えてきましたが・・・。

正直、明確な答えは見つかっていません。

ただまあ言えることは・・・。

日本人と外国人との違いは音楽的センスだけではないということです。

テクニックももちろんですが、それだけではなく、思想、哲学、習慣、常識・・・。

その全てが日本人とあまりにも違うわけです。

この辺りは海外に旅行した人ならばわかるでしょう。

全てが違っていれば、音楽的センスやテクニックも違うのは当然なわけで・・・。

もちろん、毎年多くの留学生が海外に行っては帰ってきますが・・・。

残念ではありますが、日本人が海外の考え、習慣を日本に持ち込めないのと同じように、いくら海外で勉強しても、結局日本に音楽性を持ち込めなくなるようなのです。

結果、いつまでたっても日本は日本の音楽性から抜け出せないことが多くなる。

もちろん、海外で活躍してる日本人も多くいると思います。

おそらく海外から帰ってこない、もしくは海外に帰化してしまっている人は、大丈夫なのかもしれません。

決して明確に断言はできないのですが・・・。

海外と日本と比べて・・・日本の方がいいや・・・と思う人は・・・。

結局ダメなのかもしれません。

音楽だけでなく、他の全てが。

逆に言えば・・・

日本で変人扱いされている人は大丈夫!(笑)。

日本の変人は海外では正常です(笑)。

私が初めて cegledyのレッスンを受けた時は、学内でコンチェルトのオーディションの最中で、実力的に受かるわけもなかったのですが、一生懸命練習していました。

先生だったらたとえ受からなくても、生徒が一生懸命練習していたら、ダメだとわかっていても「頑張りましょう!」と言って付き合うでしょう。

しかし、師匠は「アー、 ムラタサン、オーディションハ、アキラメマショウ。ムリデス。モットダイジナベンキョウガ、イマホカニアリマス」

これ聞いて、私は非常に悲しい顔をして、是非受けたいと懇願したんですがねえ・・・それでも先生は、許さなかったですねえ(笑)。

しかし、今思えばこれは当然な成り行きでしょう。

日本人は、言いたいことをオブラートに包んで、本音を言わずに建前で進める。

もうここから、日本人はダメなんです。

もしもあなたが・・・日本で変人だったら・・・。

安心してください。十分見込みがあります(笑)。

あ、あともう一つ、

あなたが年齢を全く意識しない中高年だったら・・・。

十分見込みがあります(笑)。

変人で、中高年だったら・・・

もうこれは合格でしょう。

私のように。

 

 

 

断捨離

今年は引っ越しが多いので断捨離が多い。

しかし、困ったことに捨てられないものがどうしても出て来ます。

もちろん、よく言われる「2〜3年使わなかったら捨てる」とよく言いますが・・・。

いやーしかしーそうはいっても・・・。

・・・というものって必ずありますよね!。

私は今まで決心して捨てたもの、いろいろありました。

特に、キャンプ用品は・・・やや勇気がいりましたね。

昔はよくやったものです。

しかし・・・確かにここ最近はキャンプをやっていません。

キャンプ用品って結構かさばります。

よって・・・とうとうほぼ全部捨てましたが・・・。

次に・・・(汗)

実はですねえ・・・

音楽関係です。

実は、私はレコードプレーヤーを2台。

スピーカーを3セット。

LPレコードを100枚近く。

これ・・・実はもう全然使っていません。

特にレコードっていうのはですねえ・・・これがまたかさばる。

でもねえ・・・レコードって音がいいんですよ。

しかしわかっちゃいるけどレコードって面倒臭いんで、なかなか使わない。

なんでまたレコードプレイヤーを2台も持っているんだろう?と悩んでしまいます。

実は、スピーカーはもっと特大なものを持っていたんですが、さすがにこれは売りました。

背丈が1m.幅50cm,奥行き60cm。

これはさすがにスペースが・・・汗。

さて、最後に・・・残ったかさばるもの。

思い出グッズですね。

写真とかアルバム、文集とか・・・。

卒業アルバムは全部捨てました。

え!・・・と思われるかもしれませんが・・・。

でも思い出に浸ることってみなさんありますか?

そうないはずです。

毎日忙しくて・・・

昔の思い出に浸る余裕って・・・。

どうですかね?

思い出っていうのは、もう過去のこと。

ときどき、あんなことあったなと・・・。

懐古することって・・・ほんの一瞬というか。

その時のために全部取っておくというのはどうなんだろうと。

思い出は自分の心の中にしまっておけば、心というスペースはそれほど取らないし、3ギガもメモリーはいらないし(笑)。

しかし、それでも・・・捨てきれないものもあります。

私の捨てきれない宝は・・・。

実は・・・

20代の頃のバイクでよく行っていた信州や北海道の写真です。

そこで出会った人たちとの交流の写真は実はかなりとってあります。

あの頃の私はピアノそっちのけで、よく旅行に行っていました。

結構北海道では、放浪の旅をしていました。

あの頃の経験が今の自分を形成しています。

悪く言えば・・・。

あの頃の経験が今の自分を作ってしまった(汗)

わっかるかなあ。

わっかんねえだろうな。

暇ができた時、ぜひあの頃の写真を載せたいと思います。

題して・・・

見せたもん勝ちシリーズ(笑)。

 

シリーズ〜私をこの世界に連れ込んだ(?)先生達5

前回のシリーズはこちら

私はその後、M大に進みました。

これといって、ツテやコネがあったわけではなく、単純に入れる大学はどこ?という感じだったわけですが、あまり知られてはいませんが、当時、私立の音楽大学の中で一番学費が安かったのです。(現在はとんでもないぐらい高い)

最も安かったのは記憶が正しければ、本当は日本大学の音楽学部。

ここはさらに安かったのですが、音楽大学ではないというところがやや不安だったので、その次に安い音楽大学を選んだわけです。

・・・果たしてこの大学に選んで将来よかったと思える時が来るのだろうか?・・・

という漠然とした気持ちがありました。

・・・この大学で将来のお嫁さんでも見つかるといいなあ・・・

なーんていう淡い期待もありましたが(当然のごとくその儚い希望は、彼女すらもできないという絶望とともに卒業となる)

さて、大学でいちばんの興味は師事するピアノの先生です。

一体誰になるのだろうか・・・という不安でしたが・・・

まあ、このHPをその先生が見ていないことを願いますが(汗)

比較的若い先生でした。

ただまあ・・・経歴は立派でした。

しかし、経歴が立派だから、いいことづくめなのかというと・・・

残念ながら私には全く魅力は感じませんでした。

この世界、経歴なんて何の判断材料にもなりません。

もちろんどこぞの大学に多く入れているということは参考になると思います。

しかし大学に入ることが目標ではないとしたら・・・もしくは大学に入った後でどういう先生に就くべきなのかというと・・・。

この辺りは、この業界人でないとわからないことが多々あります。

なんども言いますが・・・経歴は私に言わせれば、先生の選考には何の役にも立ちません・・・日本人の場合はですが・・・。

話を戻しますが、私はついた先生のレッスンに満足できずに、外部の先生を友人たちに紹介してもらって、色々とレッスンに通っていました。

中にはかなり有名な先生もいました。

まあそれなりに勉強にはなったのかもしれませんが・・・

しかし、結局私がその後、強烈なインパクトを得た先生が一人のみいました。

その話の前に・・・。

当時私は外部の先生のレッスンよりも他の魅力的なことに熱中していました。

それは・・・ライブラリー室にある膨大なレコードです。

もう朝から夕方まで暇な時にはレコード室にこもっていろんな人の演奏を聴いていました。

・・・気がついてみると・・・私が気に入ったピアニストはどの演奏者も既に死んでしまった人がほとんどでした。

ラフマニノフ、モイセイビッチ、リパッティ、コルトー、ルービンシュタイン、パハマン、グールド、ローゼンタール、ホロヴィッツ(ただし、かろうじて生きていましたが)・・・。

あまり知られていないとは思いますが、作曲家兼ピアニスト、もしくは自作自演のピアニストのレコードは意外と残っていて、ラフマニノフはもちろん、プロコフィエフ、ブゾーニなどの録音もなかなかの名演奏でした。

youtubeなどで調べてみるといいですよ。

中にはスクリャービンやメトネルの自作自演も結構残っています。

さて、この時代の録音を聴いて、外部の先生のレッスンより、こっちの人たちの演奏の方がはるかに魅力だなあ・・・。

そんなふうに思っていた頃でした。

まあ・・・残念な言い方ですが・・・音楽に関して口から出てくる内容は勉強にはなったのですが・・・しかし先生の実演奏に関しては・・・誰も魅力を感じなかった。

これが本音です。

その後、私が大学と交渉して、誰でもいいから・・・という条件で師事している先生の変更願いを出したのですが、その先生が・・・。

Janos ,Cegledyという人でした。

当然、業界でこのピアニストを知る人はほとんどいないでしょう(あ、失礼、ツェグちゃん)

げ!外人かよ・・・。

当時はその程度しか思わなかったのですが・・・。

この先生の演奏を聴いた時・・・

しかもその先生の最初に弾いたマズルカが・・・

ああ・・・今でも忘れることができない・・・

今まで聞いてきたレコードのピアニスト、そのままの演奏がそこにあったのです。

私はこの時から、この大学に来たことがどんなにラッキーだったかを知りました。

当時、M大はバブル時代ということもあって、かなり多くの外国人講師を呼んでいました。

ここから私の人生は変わりました。

続く・・・。