あーあれはどうかなあ

なんでもある有名な日本人トランペッターの音楽講習会で、ある中学受講生がそのトランペッターからビンタを食らったというニュースを見ました。

メディアはほとんどはやはり、そのプロトランペッターを責めているようですが・・・。

まあよくみておいてください。

ここでトランペッターを非難しているコメンテイターは・・・まあ言っちゃなんですが、偽善者とみていいでしょう。

人をどう判断するかって・・・こういう時に判断できるんですよ。

事情はニュースでよくみましたが・・・動画もあったようで、みました。

まあ正直・・・ありゃ中学生が悪いでしょう。

しかし、その中学生に対して、どう考えても暴力はいけませんと、言っているようですが・・・

そりゃ違うな。

あのような講座に出ている生徒というのは当然、プロを目指したい人たちでしょう。

それで、何たって講師は世界的に有名なミュージシャンです。

憧れのミュージシャンに習いに来ているのに、ああいう態度はないでしょう。

私だって、マールボロー先生とか、他の先生で、ムカッとすること、ありますよ。

でもねえ・・・だからってあからさまに反抗するっていうのは・・・だったら習わなきゃいいわけです。

というか今後習うことができなくなる可能性がある。

それでもやるっていうんだったら、もう去っていけばいいわけです。

師匠がいらないんだったら、自分だけで勉強すればいい。

目の前の宝の山を授けてくれる巨匠から宝をもらわずに、去っていけばいい。

小学低学年なら・・・まあわからないわけでもないですが・・・中学生でねえ・・・

プロの世界は厳しいです。

そういう中で、せっかく巨匠とも言える先生に習っているんだから、最低限の礼儀は・・・外国でもあるでしょう。

あれじゃあ、巨匠に対しての尊敬がない。

中学生が後で謝りに来て、トランペッターは許したかどうかわかりませんが、怒って破門にすれば、その生徒はそれっきりな訳です。

損するのは結局その生徒。

トランペッターはしばらく非難の的でしょうが、1年も経てば、元に戻ります。

しかし生徒は破門のままです。

私だったら・・・

バカだなあ、あの中学生・・・哀れだなあ・・・

と思うんですがね。

音楽家の連中だったら、多分全員そう言うと思いますよ。

文部省管轄の教員はどう言うかわからないけど。

 

理想と現実と志

色々生きていると、時々まあ、色々とですねえ・・・人間挫折したくなることや、そうは行っても理想の世界への憧れとか・・・。

そういう中で葛藤をしたりするわけです。

理想なんか高く持つもんじゃないと・・・

そう思っていた方が人間楽なのかもしれません。

しかし、そう思いながら生活している人はきっと、恵まれている人に嫉妬心を持つのではないかと。

芸能人のスキャンダルとか、不祥事が気になったり変に喜んでしまうのは、そういうことでしょう。

人間の心理なんてそういうもんです。

芸能人は羨ましい・・・自分は恵まれていない・・・。

しかし、それは大きな勘違いです。

芸能人が羨ましいと、思うような気持ちの余裕がある人は実は、結構幸せだと思いますよ。たとえ裕福でなかったとしても。

何をもって幸せなのかっていう観点かもですね。

私なんか・・・もう・・・最近は本当に色々境遇で困っていて、そういう中じゃ、芸能人や政治家のことなんかどうとも考えませんよ。全く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金銭的もそうですが精神的に余裕がないんで、他人のことを羨んでいる余裕はありません。

ただ、今後、どう自分の人生を作っていくかで、現状に甘んじることなく、理想、志を持っていきたいとは考えていますが・・・

理想とか、志を高く持つことはそれはそれで大変です。

楽な方へ人間流れていきたくなるんですが・・・。

最後に自分の人生が終わりに近づいた時、これで満足だったか?そう思えるようになりたいと考えています。

もちろん、志や理想を追い求めすぎるとしんどいです。

夢はあくまでも夢で語っているだけなら楽しくて、現実化することはとてもしんどい。

自分の老後の人生、どう生きるか?

私は・・・戦うことに決めました。

安息、休息、安泰、ご隠居は求めないと。

くたばって倒れて死んでいこうと思っています。

クレッシェンドのように。

あ、もっともリタルダンドはするかもしれませんが(笑)

精神面で若くいることはとても大事です。

体がついていかなくても、精神面でなんとかごまかして(?)保つのも重要。

無茶して肉体的衰退を精神面でカバーすることも重要(笑)。

どんなにくたばっても精神面で乗り越えていこうと考えています。

最近、ユニクロの店に行ったら、穴あきのデニムが激安売りしていました。

最近貧乏なんで、安いんだったら買おうかなと。

最近来た女子大生の生徒も穴あきデニムを履いていたので、その生徒に

「ねえ、先生もさあ、穴あきデニム、ユニクロで安かったから買おうかなと思ってんだけど、どうかなあ?おかしいかなあ?」

その生徒は大笑いしながら「いいんじゃないですかぁ?」

・・・俺も買おうかな?

生徒が良いんじゃないですか、といったんで・・・

変じゃないですよね???

俺、歳いってないよね?

まだ若いよね?

ホームレスって言われは・・・

 

モーニングコーヒー

私はよく喫茶店のモーニングメニューにいきます。

いろんな店に行くのですが、最近、結構内容的にいい店を見つけました。

MAX CAFE

近所にも新しく店ができまして、行ってみました。

結構ボリュームもあって,コーヒーもまあまあです。

同じ様なメニューは実はドトールにもあるのですが、どう考えてもこちらの店の方が上手のようです。しかも値段もかなり手頃です。

このあたりではいくつかあるのですが、断トツ、いいんじゃないですかね?

競合店としては、星乃コーヒー、コメダ,高倉町コーヒー・・・あれ、これぐらいかなあ?

しかし・・・実はもっとも強力な競合店が1店あります。

・・・というより多分、商売仇にはならんでしょう。

知る人ぞ知る・・・地元の喫茶店、●里です。

この樹●という店はコーヒー専門店です。

昔からある店で、地元のコーヒー好きには有名です。

もともと、個人で経営しているというだけあって、マスターは昔から変わっていません。

おまけに個人経営店なので年末年始など、確かこの間張り紙で12月30日まで営業と書いてあったので30日に行ってみると、お休みということもあったり(笑)

•••でもまあ、個人経営なので30日まで営業するのもかわいそうです。

または、ゴールデンウィークのような激混みの時にはちょっとコーヒーの味が薄い時も(汗)

また、HPには30周年と書いてありますが、•••多分もう34年経っています(笑)

私が高校生の時に既に通っていましたから。

そんなこんなで、個人経営らしい店ですが、味は逸品です。

ここのメニューの「ストロングコーヒー」は私のお気に入りです。

砂糖もミルクも入れずに飲んでみると分かりますが、あそこまで美味しいコーヒーの味を作るのはどこの店でもできることではありません。

もちろん他のメニューもすごく美味しいのですが、あの店はコーヒーだけでも生き残っていけるでしょう。

どんな店でも「何でも出せます。なんでも屋」だと、特徴のない店になってしまいます。

星乃コーヒーはフレンチトースト、コメダは居心地の良さ。

そうなるとドトールは•••ちょっと印象は薄いかもしれません。

さて、•••我が村田ピアノ音楽院の特徴はなんでしょうか?

•••そりゃ決まってまんがな•••

『何でも屋』です。

できることなら、全てのレベルをダントツに高い状態にしたいところですが•••

もしかすると、特徴のない、レベルが中流程度なのかもしれません(汗)。

店長のブログだけ特徴があって•••汗。

ドトール音楽院、と呼ばれないためにも•••日々努力を•••。

 

 

 

 

 

 

 

ppと、そしてゆっくり・・・

あー羨ましい。こういう風に太れならなあ・・・。

まあでも最近はなんとか食欲も戻りつつあります。

まだ色々と悩ましい問題は残っていまして・・・。

まだピアノを練習できる環境ではありません。

時々、練習をしますが・・・集中はできません。

ただまあ・・・あんまり練習をしていないので、色々と別の面から反省ができます。

時々練習するときに、気がついたのですが・・・

何かが自分の中で変わってしまってですねえ・・・

大きい音で表現しなくなりました。

とにかく、大きい音での表現を避けるようになってしまいました。

今までは、外国人ピアニストの小さい音の演奏に対しての単なる憧れで、そういう演奏を目指していたような気がするんですが・・・

なんていうんですか?ミイラ取りがミイラになってしまったというか・・・。

多分、何かが自分の中で変わってしまったんだと思います。

もしくは、飢餓状態で大きい音が出ないのかもしれませんが(笑)

あんまり大きい音での表現が欲しく無くなってしまったのです。

これがヨーロッパ人の気持ちの表し方なのかもしれません。

だとすると・・・結構ヨーロッパ人はどこかに、諦めとか、悲しみとか、何かに対しての絶望感を持っているのかもしれません。

アジアっていうのはどちらかというと、活気があって、エネルギーがみなぎっている国だと思うんです。

日本もやはり戦後はそういう中で発展したんだと思います。

そういう中で果たして、クラシック音楽を本当に理解できるのか?

いや・・・もちろん、これは私の勝手な思い込みかもしれませんが。

自分の気持ちを表すとき、通常は大きい声て早口で喋るのが普通なのかもしれませんが、・・・ヨーロッパ人はそうではなかったと、昔から思ってはいましたが・・・。

向こうでは全然違う表現なんですよ。まあラテン系の国はわかりませんが(笑)。

人生、いろいろあります。

とにかく、今後はもっと小さい音で音楽を表現していくんじゃないかと。

もちろん、小さいから、何も表現しないというわけではなく・・・

小さいからものすごい表現をしているわけです。

ただ・・・表現の手段が違うというか・・・。

ただまあ・・・こんなに小さい音でホールで聞こえるんかいな?と不安になりますが(笑)。

響の悪いホールだとまずいかもしれません。

教会のようなホールだと、理想的なのですが・・・。

あのような残響音のある中で、小さい音で響かせたいんですよね。

今日はこの曲を聴いて、いずれ弾きたいなと思っています。

 

 

 

即興演奏2

まずはこの動画を聞いてほしいと思います。

一つはなんと!ホロヴィッツ愛用のピアノで弾いたスクリャービンエチュード。

なんでもサンドロ、ルッソというピアニストらしい。

決して下手ではないと思います。

よく弾けています。

ケチをつけるつもりは私にはありません(汗)。

でも•••もう一度聞きたいとは思いません(笑)申し訳ないけど。

なぜなら•••

この演奏を知ってしまっているから。

多分、サンドロ、ルッソも本家の演奏を知ってることでしょう。

同じく、ホロヴィッツの別の演奏もあります。

私はこのレコーディング用の演奏より、1953年のカーネギーホール演奏の方がすごいと思います。

ここで言えることは•••

同じ曲にもかかわらず、まったく違う演奏ということであり、またその違いは完全に”即興演奏”的に中身を演奏者が吟味して作り上げていることです。

しかし、中身はまったく同じ音符が羅列してあるだけです。同じ楽譜なんです。

この3つの演奏の違いは、もしかすると、なかなか分かりづらいかもしれません。

しかし、3つとも全くの”別物”の即興演奏的に作られています。

完全にバックの背景的音楽は全くの別物です。

赤と黄色ぐらい、全くの別物です。

ただし音符は全く同じです。

ここがクラシック的”即興演奏”の理由です。

さて、この私が気に入っている演奏をもし、スクリャービン本人が今生きていて、聞いていたら、どう思ったことでしょうか?

面白いことに、ホロヴィッツとスクリャービンは面識があります。

ホロヴィッツが幼少の頃、スクリャービンの前でピアノを弾いて、驚いたスクリャービンは是非この子を環境の良い音楽学校に入れるべきだと進言したそうです。

さて•••話は変わりますが•••

久しぶりに私もこの曲を練習しています。

若い頃、随分苦労した曲です。

今は•••テクニック的にはだいぶ楽に弾けるようになりましたが•••

なんとかホロヴィッツの内容に迫れないものかと•••。

最近は色々と悩みが多くて正直、ピアノを練習する気になれません。というか、ほとんど弾いていません。

随分私も下手くそになってしまったと、焦っています。

体重も随分、落ちてしまいました。

しかし、この曲だけはとてもやる気を起こさせる曲の一つです。

プレッシャー大会まであと4ヶ月。

この曲は是非うまく弾きたいものです。

ただし•••私はもう、しばらく人前では弾きませんが•••(笑)

これからはホールではyoutube収録しかしません。

もう大人の生徒の前では弾かないでしょう。•••ああ、子供の発表会の時はそうもいかねえか(汗)

いつの日か行う念願のリサイタルの時に•••人前で•••。

 

 

即興演奏と日本人演奏

これは小澤征爾指揮のラプソディーインブルー。

この演奏が良いか悪いかは人それぞれではあります。

好きな部分もあったし、あんまりどうかな?と思う部分もありました。

もちろん、こりゃすごい!というところもたくさんありました。

しかし、良いとか悪いとか、そういう言い方はクラシック特有かもしれません。

いっそのこと、楽しんだ方がいい。

私は楽しかったです。

大事なことは•••ジャズは即興演奏が中心だということです。

クラシックは•••残念ながら、即興じゃありません。

すでに楽譜が決められています。そこがクラシックの面白くないところ、という人は大勢います。

それはそれで事実かもしれません。ジャズほど多種多彩な演奏は聞けないことは事実です。

加えて、その決められた音を完璧に弾けないといけない。

そういうところに我々学習者は呪縛を感じるわけです。

しかし•••。

クラシックは全くの即興が許されていないのは本当か?

実は最近•••クラシックは実はかなり即興性が必要な音楽なんじゃないか、と考えています。

というより、気がつかなかったんです。

いや実は•••やっていたんですよ。即興演奏を自分は。

これはかなり真実を突いた論文とお考えください。

日本人がなぜ、つまらない演奏が多いのか?

今までは日本人はセンスがないんじゃないかって思っていたんですが•••

違います。

多分•••日本人は真面目すぎて即興演奏ができないんですよ。

やっても、バリエーションの少ない、つまらない、真面目な演奏になってしまうんです。

自発的な演奏ができないんです。言われた通りの命令された演奏しか。

ジャスの話じゃないですよ。クラシックなんです。

同じ曲であっても、センス良く弾く人もいれば、全くもってセンスも繊細さもない演奏もある。

しかし、楽譜は同じなんです。

センスのない人はそれを責められても「しかし私は楽譜通りに弾いている」と反論するかもしれません。

そうです。楽譜通りにみんな弾いている。

しかし、楽譜通りに弾けばいい、それ以上は必要ない、という考え方は全くの日本人的奴隷労働者演奏です。

曲をセンスを持って弾くことは、かなり自分の中で、どうやって弾くのか?どういう構想、どういう音色、どういう哲学なのか?

それらがとても必要です。

もちろんそこにはものすごい”センス”が必要になります。

その結果、音色、ルバート、リズム感、ダイナミクスに差が出ます。

つまり、もうそれで即興が生まれているんです。

巨匠の演奏と自分の演奏と、どう違うのか?

しかし、楽譜は同じなんですよ?

一体どこに差があるのか?

ピアノは単純には音量の差しかできません。強いて言えば、多少の音の硬さ、柔らかさ。

あとはスピード程度しか差が出ません。

その少ない材料でどうやって巨匠は感動的な演奏を作るのか?

なんども言いますが、楽譜は同じです。

ここは•••結局、曲をどう捉えるか、という即興演奏が存在していたんです。

今まで私は、その”即興演奏”を、いわゆる”曲の解釈”もしくは”楽譜に書いてあることの背景を考えて忠実に作曲家の考えを再現”

と、考えていたんですが•••。

実は違いました。

なんども言いますが、忠実に楽譜を再現したら•••つまらない演奏であっても”再現”なんです。

この辺り、もう一度整理して、論文として、HPにアップしますが•••

わっかるかなあ•••

わかんねえだろうな。

ところで

やっぱり、本物はすごい。

 

 

 

 

 

この間,位牌を買いにいってきました

位牌なんてまあ、今までは何とも思っていなかったし、人は死んだらそれっきり・・・と思っていましたが・・・。

もちろん、今でも死後の世界なんて信じていません。

・・・頭の中では・・・

そう、頭の中の理性的頭脳ではそう考えるんですが・・・

心臓の部分の心の中はですねえ・・・。

人の気持ちはそう簡単に割り切れないものがあります。

わかっちゃいるけど・・・。

位牌に人の魂が入る、と言われれば、やっぱりねえ・・・

だから位牌はみんな磨き過ぎて、あっという間に漆が禿げるんだとか・・・

人はやっぱりやるせない気持ちを何かにすがるんだと思います。

何かにすがって、気持ちを平静に保つんだと思います。

ちなみに今回買った位牌は・・・

黒檀です(笑)

そう、ピアノに詳しい人なら知っていますよね?

わが村田ピアノ音楽院のピアノの黒鍵も本物の”黒檀”です。

この位牌がまた結構、ずっしり重い。

先祖の霊は盆に家に帰ってくると言われています。

そんなこと、もちろん今まで信じていませんでしたが・・・。

ただですねえ・・・

実は不思議な出来事が昔の家ではよくあったんです。

現在の教室の建物の前の私が10代の頃の建物の時代なんですが・・・

何故か盆時期や、お彼岸時期になると玄関の呼び鈴が必ず2〜3回鳴るんです。

それで玄関に出てみると・・・だれもいない(怖)

これ、実は結構ありました。

その度に「ははあ、おばあちゃんにおじいちゃんが来たな!」

と、みんなで冗談まじりに言って、その後墓参りをしたものです。

その時は、半信半疑でしたが・・・。

今年は盆提灯を置くかもしれません。

何度も言いますが、正直,人間は何かにすがって気持ちの整理をしているにすぎません。

逆に考えれば、霊体験とか、心霊写真とか・・・

そんなもの、全然信じません。

正直「ばかばかしい」とまで考えてしまいます。

自分の気持ちの整理をつけているだけなんです。

だからそうわかっていても•••先祖の霊を盆にお迎えしなくてはいけないと。

長い歴史の中で、人間はどの世界でも、そのような行動を起こすわけです。

どうでもいいんですが・・・

私が死んだ時は、教室のピアノの黒鍵をばらして、みんなにお配りしたいと思っています。

私はその36鍵の黒檀鍵盤で(今、数えました・笑)生徒の皆さんの演奏を監視したいと思います。

「なんだその歌い方は!」

「テクニックがなっとらん!」

「いつになったら楽譜が正確に読めるんじゃ!」

・・・と、激を飛ばしたいと思います。

 

 

 

何でも屋、村田ピアノ音楽院の・・・

私は常日頃、何でも屋のピアノ講師を目指しています。

自分がレベルが高い講師なんだとか、レベルが低い講師だからどうのこうの、とは思ってはいないんです。

自分が出来る仕事はなんでも引き受けてやろうと思ってやっています。

大学講師だったら幼児は教えないだろうし、その逆だったら、ピアノの先生相手には教えられないでしょう。もちろん、X講座の教授が習いに来ても困るが(笑)。

そういう中で最近、非常に力を入れている分野があります。

今まではやれテクニックだとか、音楽性とか・・・どちらかというと上級ばかりだったけれども・・・

今は楽譜が読めない生徒に対しての指導の上達にかなり力を入れています。

もちろん、今までそれなりにソルフェージュに力は入れていたつもりですが・・・。

どちらかというとこの世界、自分で頑張って這い上がってこなくちゃいけない、と言う風潮はあります。

テクニックでも、音楽性でも・・・。

つまりは指導側としては、そんなとこまで教えられないよ、自分で勉強してねと・・・。

なので、テクニックや音楽同様、多分ソルフェージュ(読譜訓練)においては市場では野放し状態です。

この時期、多分子供のピアノ界ではどこぞの団体のコンクールで盛り上がってはいると思いますが・・・。

でも子供の指導に置いて本当に大事なのはなんなのかっていつも思っています。

そりゃ将来、ショパコンで(日本じゃないですよ、本物のポーランドのですよ、)入賞するぐらいの国際ピアニストになりたいんだったらわかりますが・・・子供の指導で本当に必要なものは・・・

コンクールじゃなくて・・・

一人で楽譜が読めるかどうかだと思いますよ。

大人になった時にショパンやラベル、ラフマニノフの楽譜が読めて弾けるレベルにあるかどうか・・・

賞なんか取っているより、よっぽどそっちの方が大事です。

それが出来て次にコンクールなら分かるんですが・・・。

そういう中では自分はきちんとソルフェージュは指導してきたと自負はしていたつもりですが・・・

まだ改善の余地があるかもな・・・と最近は思っています。

人間、これで良いだろうとか、完璧だろうとか,ここまで指導したんだからとか・・・

そう思ったらダメだとは思っています。

そう思わずにまだ改善の余地があると思っていなかったらピアノ講師としては失格でしょう。・・・まあ,あんまり厳しいこと書いて、ピアノ講師達が縮み上がっちゃ困るんで、この程度にしておきますが(汗)まあ自分の出来る範囲内で、まだ改善の余地があるんだったら、改善すれば良いだけのこと。

でもピアノ講師は、仕事と、プライベートと、ピアノの練習は全部、均等にわけて考えたほうがいい。

どっかで、指導が全部になっちゃったり、ピアノの練習ばかりになっても困るし・・・

プライベートばかりで・・ってのもねえ(汗)

指導、自己研鑽、プライベート、この3つはどれも浸食されずに独立してやっていかないとダメでしょう。

3つのバランスはどれかでも崩れると、必ずおのおのそれぞれ、影響が出ます。

まあちょっと私は最近、自己研鑽は進まないですねえ(汗)

そろそろ本気で1時間ぐらいのコンサートを開こうと思わないと・・・