子供のためのコンクールpart3・・・(私の昔話)

 

今年も子供コンクールの時期がやってまいりました。私の生徒も数人出場する予定です。

なんか音楽のコンクールなのにまるでカーレースF1グランプリ予選のように、やれスピードが足りないだの、ウォーミングアップが足りないだの、すべるだの、(フレーズの入り口で)フライングをやってしまうだの、ペース配分が間違っているだの、鍵盤からコースアウトをするだので・・・最後まで最終調整に余念がありません。しかし、司会進行にハイレグのレースクイーンがいないところを見ると、やはりカーレースではなく、芸術音楽のコンペティションである事は間違いないようで・・・。(お父さん達残念!)

このコンクールとやら、実際は予選を勝ち抜いてなんとか最終本選まで!そしてシャンパン表彰台(?)を狙えとばかりにみなさん真剣です。

しかし、私自身はけっこうのんきで、「参加すればそれでええんでないの」といった感じです。

そう、私は勝敗にこだわってはいない。

だいたい子供のコンクールで賞を取る事は、まあそれ自体とても本人には嬉しい事でしょうが、それは私から言わせれば、そんなの取っても、だから明日からプロに成れるわけではない、と冷たい感想・・・。そんな言い方ないでしょう?と言われそうですが、しかし私自身はコンクールは、本来真剣にやる場合はプロを目指す人のための催し物と考えています。

そもそも、コンクールが始まったのは第2時世界大戦終了後、それまでは王侯貴族などからの援助のもと、チャンスをつかめた音楽家がプロとして世に出ていましたが、そのパトロンなどが資本主義の台頭により、消滅し始めたころから、天才音楽家が資本力がなくとも、世に出られる様にという事から始まりました。そう、そもそもずば抜けた天才音楽家がプロデビューのために設けられたものなのです。

しかしそれが今や、幅広いレベルと年齢層において催しをされている。

もちろん、それはそれで良い事だと思います。コンクールに出る事をきっかけに何がしかのプラスになる事があればそれにこした事はない・・・なんですが・・・やはり日本などはそれが過熱し過ぎて、んー、と思う現象になる。

ひょっとして日本人はラテン系人種より変な所で過熱が好きかもしれません。バブルなんてえのもそのひとつでしょう。

私もその過熱していた人の一人。あの頃(20代)は大変だった。とにかくやたらあちこちのコンクールを受けていました。しかし、そもそも実力がない自分が良い結果が出るわけでもなく・・・そして、気がついた頃にはピアノを弾く事に罪悪感をもち、自分を責め、本番まぎわに胃の調子がすごく変になって吐いたり、本選に通らなかった事を根に持って、帰り際にむしゃくしゃして「これは審査員の車か?」と勝手に思ってベンツのボディーを思いっきり蹴り上げてへコミを残して逃げてきたり(嘘です。多分・・・)

同じ事は自分の小学低学年の生徒で、以前、予選を通らなかったためにしょぼくれていたので「なんかこのコンクールって、最後はうまい人を選んでその人たちをあみだくじで審査員が選んで決めているらしいよ。だから下手で通らなかったわけじゃないんだよ」と慰めると、いつもはおとなしい子がいきなり「あみだ?ふざけんな!審査員なんか、クソくらえだ!(fuck you!ってやつですか?)殴り倒してやる!」とひょう変したのを見てがくぜんとしたのを覚えている。

やはり自分の弟子の血は争えないってことか?

話は元に戻りますが、最終的には20代後半はピアノを弾く事が嫌になって30になるまで全く弾かなくなってしまいました。何たって人前でピアノを弾く事が単なる「苦しみ」になってしまったのですから。

あの時、間違いなく私は精神的に病んでいたと思います。

あれからずいぶん経って、最近行われた発表会の時に講師演奏が忙しさのあまりに、できなかったのですが、その時初めて知りました。舞台でピアノをできれば弾きたいと。

ピアノを人前で弾く事がどれほど楽しい事なのか、それは自分が苦しみながら弾いていた時には味わえなかった事です。

ピアノが人前で弾く事が楽しいなんて事、原点であるはずが、この歳になって気がつくとは・・・なんてこった・・・

しかしコンクールはもちろん、害ばかりかといえばそうでもなく、やはり発表会と違って、かなりの完成度を求められます。いい加減な演奏、中途半端な演奏、それは発表会では良しとされても、コンクールでは、はねられます。発表会では、お祝いという催し物のため、問題点はなおざりにされてしまいますが、完成度の高い演奏を心掛けるためには、やはりコンクールという審査は必要不可欠でしょう。

話は変わりますが、今後コンクールに行く時に、高級外車でおでかけする方は、十分お気をつけ下さい。

村田ピアノ音楽院

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