あなたは何のためにピアノを弾くのか?

 

もう10年ほど前になるが、ある用事で自分の出身大学に行った時、ついでに恩師に会ってきた事を思い出す。

恩師はレッスン室でピアノの練習をしていた時だったが、久しぶりに私が訪れたというのに、のっけから「あなたは何のために生きていますか?」などと言ってきた事を思い出す。

宗教者じゃあるまし(笑)・・・でも、この時私は究極に仕事で忙しくて自分の練習時間が全く取れなかった時期で、大いに悩んでいたので即座に「生徒のために生きています」などというわけの分からん返答を暗い顔でしていたのを思い出す。

あの時恩師はどういう返答を期待していたのだろうか・・・と、まるでもう恩師は死んでしまったかの様な書き方ですが、未だにご存命です(汗)

まあいろんな返答の可能性があったのだろうが・・・今の私ならば生徒に「あなたは何のためにピアノを弾きますか?」という質問をするかもしれない。

なんのためにピアノを弾くのか?・・・つまりどうしてピアノを弾きたいのか?

それに関しては昔、ここで書いた通り、一種のドラッグの様なものと書いたことがあった。

今でももちろん、この考えに変わりはないし、そう考える人は大勢いるだろう。

しかし、今では、また違った考えも持っているし、別の返答も生徒から期待したい。

自分の考えが漠然としていた時期ならば、ドラッグと例えて答えるのも良いだろうが、それは突っ込んで考えれば別の考えも出てくるのではないかと思っている。

 

あなたはどうしてピアノを弾くのか?・・・別にピアノなんて弾かなくたって生きていける。それにどこかのプロが弾いてくれるから、わざわざ自分の下手な演奏なんてしなくたってべつに良いはずなのだ。

どうしてピアノを弾くのか?・・・そこにはやっぱり簡単に答えられない心理的なものがあるだろう。

それはあまり難しくないピアノのレベルの人ならわざわざ深く考えなくたって良いと思う。

好きなんだからただ単に弾けばいい。

でも私の様な種族の(?)人間になるとある一つの理由が出てくる。

それは・・・自分の哲学、思想、願望、自己表現のため。

正直この返答、はっきり言って分かりやすい返答とは言いかねる。

もっといえばどこかの怪しい宗教者の返答でしかない(笑)

でも,そうしか答えようがない。

ドラッグは気持ちいいから、現実逃避したいからやるんだろう。

でもピアノはやればやるほど、悩みは増えるし、出来ないし(笑)頭を抱える(爆)

どうやらドラッグとも違うのかな?と考えるついこの頃だが、やはりそこには・・・

自分の哲学、思想、願望、自己表現。それしか言葉が出てこない。

 

この4つの言葉を今までの作曲家は音で表してきた。これはすごい事だ。(但し、印象派作曲家は少し違うかもしれないが)

と同時に、その作曲家が思ってきた哲学、思想、願望、自己表現が自分と一致すると、その作品を弾きたくなるし、それをみんなに聞かせたくなるのだ。

クラシック音楽は伝統音楽でしかないから、何の発展も自己創造性もないのだが、おもしろいことに自分もその哲学、思想、願望、自己表現の伝承者に知らないうちになっている。

もちろん、普通に趣味でピアノを弾く生徒にこんなおかしな返答を期待するつもりはない。

でも、ピアノがうまくなりたいのであれば、少しはこの中の一つぐらい返答できてもらえればと思っている。

あまり言いたくはないが、今まで教室を辞めていった大人の生徒達の理由に「先生が私を褒めない」というのがあるらしい(汗

事実、それは本当である(笑)

私はあまり生徒を褒めない(汗)もちろん子供は例外だが。

しかしそれはすべて上記の「哲学、思想、願望、自己表現」に気がついて欲しいからだ。

「あなたの演奏は大変すばらしい!満点だ!」・・・と、こういえばその生徒は現状のあまり良くない演奏で満足し、それ以上何も探求しなくなるだろう。

もちろんそれでも良いと思う。本人がその場しのぎでとりあえず楽しければ、という発想はストレスの多い現代社会からの逃避なら決して悪い事ではない。

しかし、どこぞの中国人の●ン●ンみたいな”本人がその場しのぎでとりあえず楽しければ、という発想”・・・みたいな演奏をするピアニストはどうなんだろう(笑)とは時々思うが(爆)・・・(但し、彼は本番でのドヤ顔!とは裏腹に家では恐らく相当の努力家で猛練習している)

 

しかし、本当は向こうにいくつもの多くの隠された素晴らしい部屋がまだまだ続いているのに、そのドアを開けずに折り返してしまうのはどうなんだろう、と思ってしまうのだ。

ベルサイユ宮殿の入り口に来ているにもかかわらず、宮殿の入り口の美しさのみに見とれて、鏡の間を見ずに帰っている様なものだ。

 

作曲家の「哲学、思想、願望、自己表現」に気がつけばたとえ私から「あなたの演奏は大変すばらしい!満点だ!」と言われても全く満足できないだろう。

私が思うに多分、褒めて欲しいと思っている生徒は別の次元の価値観を求めているのだろうと思うのだ。

つまり「自分を認めて欲しい」という価値観だ。

でも残念ながらそれはピアノには向かない価値観でしかない。

「自分を認めて欲しい」場合はどちらかといえば、それは仕事やスポーツでの対戦試合、もしくはゴルフのスコア争いや、パチスロの方が向いている。その方が数字ではっきりと結果が出るし、自ずと他人が認めざるを得ない成績が出る。

ただし、それがピアノで明白に出るものがたった一つある。

それは・・・コンクールだ。

事実私も、あるコンクールで1位なしの2位を獲得したことがある。

でもその時は何一つ嬉しくはなかった。

どちらかといえば、結構なお金と労力をかけたので、正直ある程度の結果が出て安堵はしたものの、まったく嬉しくはなかった。

何故なら・・・正直、演奏は何一つ音楽的な事は考えず、ただひたすらミスをなくして、異常に速いスピードで弾いただけだったからだ。

このコンクールの時、他にすごく感動的な演奏をした人がいて、思わずその人の演奏が終わった時に楽屋に駆けつけて「すごく良かったです!!」と言ったその人は・・・どういうわけか入選すらしていなかった。

この時から私のコンクールに対しての大きな疑問と、そして、ピアノの価値判断ってなんなんだろう?という疑問がわき上がったのだった。

そう、ピアノ演奏は「自分を認めてもらう」のではなく、「その曲の価値を認めて自分なりに演奏する事によって良さを伝承する」にすぎない。

作曲家の「哲学、思想、願望、自己表現」に気がついた時・・・自分の 哲学、思想、願望、自己表現とはかけ離れて全然下手な演奏だと気がついた時・・・たとえ自分の生徒から「良かったですよ、先生!」と言われてもちっとも嬉しくないのだ。

 

もちろんそんなマニアックでオタク的なレベルをわざわざ生徒に要求なんてしなくても良いかもしれない。

しかし、そこで、冒頭の質問になるのだ。つまり・・・

 

・・・あなたは何のためにピアノを弾くのか?・・・

 

この答は各自、おのおの決めてもらえば良いと思っている。あえて私から答えは書かない。

が、この答如何で、あなたが一生ピアノを飽きずに探求するか?それともあまりの難しさに挫折してピアノから去ってしまうか、が決まってしまうかもしれない。

・・・以上、現在私が練習している曲、リストの3つの演奏会用練習曲から「悲しみ」をもし、文章で書いたら・・・というメッセージ集でした!(きちんと主題回帰をこなして文を締めくくっている・・・これも 哲学、思想、願望、自己表現)

 

・・・ところで恩師の「あなたは何のために生きていますか?」は、いったいどんな返答を期待していたのだろうか?

今の私なら「もう一度ポーランドに行って絶世の美女達を見学したいための旅費を稼ぎたいから」

この一言につきる!。

所詮私は”ストレスの多い現代社会からの逃避のために、その場しのぎでとりあえず楽しみたい”からピアノを指導している下らない人間にすぎないのだ(多分、”猫踏んじゃった”を文にしたらこういう内容だろう。・・・これも哲学、思想、願望、自己表現!)

 

 

2012.9.12

村田ピアノ音楽院

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