村田ピアノ音楽院、自転車操業時代の巻。

 

正直言って今でも音楽院は自転車操業状態なのですが、当初のことを語ると・・・

音楽院創立当初の時期の初仕事は、まずは生徒集めでした。

といっても、はたして集まるんかいな?・・・という疑問と不安は拭えず、まあ、いつでもこんな教室、つぶしちまっても良いかな?と思いながら始めたわけです。

当然のごとく、生徒数はゼロからスタート。最初は教室のチラシを作る事から始まりました。

今ではマニア並みのパソコン操作に当時はなれず、パソコンに入っているワープロソフトを修得する事3ヶ月・・・その間、あまりにもパソコンの操作がわからず、頭に来てマックの側面を平手打ちに叩いた事、数十回・・・そのうちウィ〜ンという音を立ててマックのハードディスクが壊れてしまいました。

購入1年以内でしたので、マックのお店に行き「自然に壊れました」と言って新品のマックに変えてもらったり・・・

なんとかチラシの原稿も完成し、さて、それをコピーする為に父のコピー機でチラシを刷る事、数千枚・・・とうとう当時30万もしたコピー機もぶっ壊してしまい、仕方なく印刷屋へ出向きました。

さて、チラシは経費節約の為、各家庭、マンションに自分の足でポストに入れていきました。

当時は生徒がいなくて暇だったので朝から番までポスティングをしていましたが、人間のポスティング枚数の限界は一日7〜800枚。

さて、こんな事してはたして反応あるんかいな?・・・と当初は思っていたのですが、意外や意外!どういうわけか多くの問い合わせの電話が入りました。

たぶん、読む人にとっては、相当インパクトの強い内容が書いてあったんでしょうね?

今ではもう何を書いたか思い出せないのですが、こういうホームページを書いている人ですから・・・

ただし、このポスティングの成果ですが、千枚配ってやっと一人、問い合わせがあるという結果です。

つまりチラシの確率は0.1%!

もし10人生徒を集めたければ、1万枚配るということです。・・・え?つまりやったかということですか?・・・やりましたよ!だってどうせ暇だったし、身体を鍛えるにはちょうどいいかなって。

ところで、チラシを全ての各家庭にローラー作戦で配っていたので、考えてみると、ある程度不安な部分はありましたよ。

たぶん、女性のピアノの先生だったら、こんな事、ちゅうちょするのではないでしょうか?

私は男性でしたが、別の面でそれなりに不安はありましたよ。

「そこは5の指で・・・」「なんだとぉ!俺に、無い指を使えってえのかよぉ!先生よおぉ!」・・・と、やくざが入会したりとか・・・

「先生って、肌が白いのね!あたし、先生って理想のタイプよ!」と、ホモが入会してきたりしたらどうしようとか・・・

もっとも、変な不安をよそに、今では順調にいっていますが・・・

 

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