マズルカはイスラム国のようなものだ!?・・・part3

 

私がマズルカを弾く様になった事には実は訳がある。

昔からそうだったのだが、私はあまり派手な曲が好きではない。

もちろん若い頃は派手な曲は好きだったのかもしれないが、最近はあまりそうではない。

いや、派手なのはそれはそれで好きなのかもしれないが・・・。

問題はその曲が音楽的に良く出来ているかどうかなのだ。

ただ単に派手で、でかい音だけ出せば良い様な曲が段々嫌いになってきたのだ。

その代わり、どちらかというと叙情性が豊かな曲を好む様になったのだ。

たとえば、ショパンスケルツォ1番や3番などは、あまり冒頭は好きになれない。

あれはもう仕方なく、冒頭を弾いているにすぎない。

ただ、どちらも、中間部に来ると、私自身ホッとするのだ。

ようやく自分が表現したい部分に到達したか、と・・・。

私が表現したい部分、それは・・・ただ単に言葉でいえば、叙情性と説明をするかもしれないが・・・。

そうではなくて・・・

私がX国講座によって培ってきた「和声感」なのだ。

これは言い換えれば、業界では「倍音」とか「美しい音」「カンタービレ」とかいう言葉を使っている。

私も昔、探求していた「倍音」である。

あまりにも、この漠然とした「倍音」もしくは「美しい音」「カンタービレ」という言葉においての研究が、今、到達しようとしている。

私はそれらをひっくるめて、今「和声感」と呼んでいる。

私がX国の講座で気がつかされて、みっちり試練を乗り越えているのがこれなのだ。

今の私なら「和声感」がわかる。弾ける。表現できる。

もちろん、以前も分かっていたのだが、今なら充分表現できる。

しかし・・・。

最近痛烈に感じるのだが、この「和声感」は通常のビデオカメラや、ハイエンドモデルのICレコーダでも録音はできない。

かなり良い線まで、録音機材の音質は迫っているのだが、あと一歩のところで、十分あの「和声感」の音が撮れない。

これは大変ショックな事で、正直、私の演奏動画の音質は、正直どれも満足のいくものではない。

逆に言えば、下手に弾いて和声感が十分でなくても、もしくは逆にうまく弾いて、和声感を充分出していても、実は再生するとたいして、それほど変わらないのだ。

非常に微妙な和声感の変化は、おそらく業界の高度な専用機材でなければ録音できないのではないだろうか?

逆に言えば・・・まあこんなこと、あまり世間にはいいたくないのだが・・・

正直世間ではこの「和声感」に疎い人が多すぎる。

まああそれはいいとして・・・。

どうやって私はこの「和声感」を世間に示していけばいいのか・・・。

曲はやはりマズルカの様な叙情性豊かな曲や、それ以外でも、とにかく音楽的に豊かな曲ならば、なんでも良いのだが・・・。

残念ながらyoutubeであっても、その「和声感」は100%視聴者には伝わらない。

・・・やっぱり・・・

・・・生で人前で弾かなければならない・・・。

和声感の音は生の音でしか人に伝わらない。

おそらく、業界でそのことに気がついている人は世界中に大勢いるはずだ。

かつ、現在の日本でもっとも欠けがちな内容。

・・・やっぱり人前で弾かなければ・・・か・・・。

 

・・・いささか、真面目でわかりにくく、且つ硬い話をし過ぎたようだ。ちょっとくだけた話もしよう・・・。

 

私は今後の壮大な計画を考えつつ、自宅向かいのドラッグストアで朝から買い物をした。

いつもの朝食べる食パンを買うためだ。

今日は春うららで、心地良い。

ドラッグストアにも最近、新入りの若い姉ちゃんがパートに入った。

とびきり美人でかわいい。

桜が咲きそうな春うららに、かわいい姉ちゃん・・・。

壮大な計画を練る頭の中は、次第にピンクへと染まって、とろけていく・・・。

 

 

2015.3.12

村田ピアノ音楽院

since1996

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