音楽性は教える物じゃなくて、本人自身が育てる物。

 

ピアノはある程度までは私が責任をもって、ハイレベルなピアノ演奏ができるように持っていくことは可能です。

ピアノ演奏は考えてみれば、読譜力と多少のテクニックがあれば、ある程度の名曲ならば弾けるようになるのです。

もちろんピアノの習得は難しいです。

しかしこの世界、どんな職種でも、同じ人間ができるのだから、きちんと勉強をすれば自分もできる、という発想を持てばなんでもできるのではないでしょうか?

ピアノも同じで、別に特別な才能はなくとも、真面目にコツコツと練習、学習をしていけば、よくある名曲集の曲ぐらいは弾けるようにはなるものです。

しかし、そこには一つだけ、真面目に勉強すれば習得できる、とは限らないものがあります。

 

”音楽性”

 

です。

何度も言いますが、ピアノは学習すれば弾けるようになります。

なんたって単純には鍵盤を「キーボード」のように数多く叩いてしまえばいいのですから。

しかし、そこに、どうしようもないエリアが存在するのです。

単純には音楽性は科学的、物理的には音量の変化と言ってしまえば簡単です。

もちろん、それも細かい設計図のごとく指導しようと思えばできます。

しかし、それはたちどころにプロが聴けば、バレてしまいます。

「ああ、多分指導者が全部擦り込んで細く指導したな」と。

では、どうしたら指導者が擦り込んだ演奏ではなく、本人自身が感じて音楽性を表現できるようになるのか?

残念ながら、この特効薬はありません。

結局は指導者がやることは「対処療法」的となってしまうのです。

根本的な治療のような、音楽性を身につけることはとても難しい。

もちろん、私は何度も音楽性を擦り込むように指導はしますが、それを本人がいつになったら感じ取れるかはわかりません。

初めは「猫に小判」状態なのです。

しかし一方、ピアノの前での練習ではなく、他の方法で音楽性を身につけさせる方法もあると思うのです。

それはやはり

 

”音楽鑑賞”

 

でしょう。

良い演奏を聴いて自分の中で啓蒙的、もしくは革新的な驚きが生まれて、感動をしてくればしめたものです。

そういうところから、自分自身の音楽性は育っていくと思っています。

いつものピアノの指導だけでは足りないのです。

 

読書は、読むことは誰でもできます。

しかし、感動は誰でもできません。

その本の良さが分からなければ、感動できない。

どうやったら、読書で”感動”させられるか、なんて技はないのと同じなのです。

唯一の方法は、数多くの良い本と、良い演奏を聴くこと。

指導者の一番難しい指導内容なのです。

 

 

2017.5.20

村田ピアノ音楽院

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